蓮池通信
子ども×神奈川県立美術館・鎌倉館

蓮池通信ブログ

本サイトは、横浜国立大学教育人間科学部附属鎌倉小学校の子どもたちと神奈川県立近代美術館鎌倉館との交流から生まれました。 これまでの交流記録をはじめ、現在の活動の様子や子どもたち自身が日々感じていることをブログで少しずつ発信していきます。

ミナモの波紋のように、だんだん広がって、大きくなることを願って…。

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投稿者: grouprough

美術館はぼくらの宝箱10

2009.07.24 Friday



「鑑賞って別にいいじゃん、なんだって。」フツーの人はそう感じると思う。特に期末テストだ、受験だとか言っている人たちなんて「バカバカしい・・・」なんて考えるかも知れない。でも自分にとっては必要なことだ。というか自分にとって息抜きになっている。「美術館で絵をみることは自分をみること、自分をみてどうにかなるか」といった打算的なことじゃない。もっと心のおくの方にしまわれている自分に気づく。それだけかもしれない。でも今,自分がどうなっているか,とかどう思っている,とかを知ることによって正体不明の疲れだったものが楽になるかもしれない。別にだからといって人に無理にすすめる気はない。ただ、人にどう言われようと自分は美術館に通うつもりだ。時間があれば・・・。そして美術館に行って心を休める。美術館は心の休憩所だ。もし美術館がこの世からなくなったら・・・。毎日セカセカして、何かにイライラして、休んでも休みきれない。自分はどうなるだろう。

自分は美術館に小さい頃から行っていたし絵やいろいろなものを「見て」いた。でもこの3年間鑑賞をつづけて思ったことがある。絵は「見る」んじゃない。「みる」んだ。自分を「みる」。世界を「みる」。絵を「みる」・・・。小さな言葉の違いでも違っている。そんなうまく説明できるものじゃない。でも大きな違いはこれだ。何か意味わかんないと思うけど自分なりに考えてみて下さい。

言葉:鯉(2007年度6年1組)
写真:高松

美術館はぼくらの宝箱 | 16:29 | -

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